暮らす豆

ゆるい日記など

暮らせ!

ホームの床と走る電車の間にできる光と影の帯をただ眺めていたら、今まで自分を守るため必死こいて被っていた“真面目”の皮がぶち破れるのを感じた。

後から思った。あのとき、ぼろぼろになった“真面目”の皮は電車に飛び込んだのだ。

飛び込んだのが私でなくてよかった。

 

 

 

経緯を説明しよう。

出社しなければならないという事実、辞めたくても辞められなさそうな現実、仕事なんてせず文章を書いていたいという願い、その他諸々の憂鬱渦巻く重い頭をどうにか起こして家を出、ホームの椅子に座って電車を待っていた。たぶんやばい表情をしていた。

 


誰かに相談したい。私はそう思った。けれども相談する相手なんていない、正確には今の苦しみを言葉で説明して分かってもらえるだけの関係性を築けた相手なんて、私にはいない。

こんな時、両親は何というだろう。「○○が自分で決めたなら、なんでも応援する」あたりが妥当だろうか。

 

 

 

よく分からないけど、ここまで考えた時急に頭がスパークした。

 


そんなに、私を、信用するな!

 


今までこの私を真面目だと評した、頼れると評した、その言葉全部が私の身体から5ミリくらいズレたところでぷかぷか浮かんでいる。

 


私は、全然真面目じゃない。「あなたなら大丈夫」という信用を勝ち得るような人間じゃない!

 


そう思ったところで、冒頭に戻る。

 

 

 

 


文章にすると後ろ向きとしか読めなさそうだけど、私の心はこのとき晴れやかだった。

 


だって、私は真面目じゃなかったのだ。剥がれた“真面目”の皮を客観的に見られるということは、私と“真面目”は別物なのだ。ただ、つい数刻前まで身体にぴったり張り付いていたというだけで。

 


つまり私は自分のゆく道を、周囲の人間や世の規範でなく、自分の力によって定義できるのだ。

こんなに嬉しいことがあるだろうか!

 


今日は一日のびのびと過ごした。

 


上司と話す時声のトーンを明るくする必要もない。

どうせマスクで見えないんだし、ニコニコしている必要だってない。

受けたくない試験を無理に受ける必要だって、どこにもない。

 


何事もほどほどにやって、ほどほどの時間に帰ればいいのだ。どうせ辞めたい仕事だし。

 


たぶん、やばい表情はしていたと思う。でもそれは、もともと私がやばい表情をしている人間であるというだけのこと。

そして私、やばい表情をしている自分のことは、そんなに嫌いじゃない。