暮らす豆

ゆるい日記など

だめモード

11/29

 

人生のこと何も考えたくないなと思いながら人生は続く。ちっとも速度をゆるめてくれない。

 

昔からの知り合いを大事にしたいのに、ずっと自分の殻にこもっていたい期間が来てしまった。誰も自分のこと知らないところに行きてー、などと思う。思うだけ。

 

アンビバレントな国で生きている。別に人との付き合い方だけじゃない。働きたいのに働きたくないとか、強くなりたいけど強くなりたくないとか、そんなのばっかり!

 

私はいま全然大丈夫そうに振る舞えているし、側から見てそんなにやばそうな兆候はないはず。でも、いつも自分のことを静かに見ているもうひとりの自分が、これはやばい、やばいぞと騒いでいる。ここ最近ずっと。

 

ちゃんと診断されたことはないけど、たぶん私は嘔吐恐怖症だ。文字におこすのもちょっと怖い。

私自身はもう13年、つまり人生の半分以上(書いてて自分でも驚いた)そういう事態に陥ることがなかった。というかそれを避けるために必死で床をのたうち回ったりしたこともある。胃腸炎になったときは本当につらくて、お腹に菌?ウイルス?がいなくなったあとも口の中に咀嚼された食べ物があるだけで気持ち悪くなって、それで一瞬だけがりがりに痩せた。

話がそれた。

そう、私は嘔吐恐怖症なんだけど、最近駅とか街中で見る床の汚れやタイルの剥がれた部分、無造作に落ちているゴミなどが、それに見えてしまうことが本当に多くなった。出かけた日は、少なくとも1日に3回は見間違いをしてしまい、そのたびに焦って振り返りながら確認している。もちろん予感が正しいこともあるけど、大抵はなんでもない。

私が本当に苦手なのは自分がその状況に陥ることとその状況に居合わせることで、別にそれが落ちているのを目撃しただけではそこまで動揺しない。普段であれば慣れなければ慣れなければ、と暗示をかけながら、むしろじっと見つめるくらいだ。

それなのに、やっぱりだめだ。はじめは深く考えていなかったけど、やっぱりいろんなものがそれに見えてしまう。別に最近それに関して怖い思いをした覚えはないので、見間違いの原因は全く別のところにあるんじゃないかという気がしている。例えば将来への不安とか。

 

こんなに不安なのはきっと寒いせいだと思ってこの冬はじめての暖房をつけた。部屋は暖かくなったけど、不安は増すばかり。どうして?

 

ねえ聞いて!が口癖の友だちをふと思い出した。口癖だけ切り取ると話したがりな感じがするし実際その子はすごくお喋りだけど、本当に大事に思っていることや悩んでいることは、日が暮れてから無意味に散歩しているときや、家に泊まりに行ってパジャマに着替え部屋の電気を消した後にしか教えてくれなかった。

 

今私はひとりで、パジャマを着てうずくまっている。電気を消すことはできない。電気を消したら寝る時間で、寝たら明日が来て、明日が来れば未来が来る。今どんな選択をしたとしてもそれは未来の生き方に直結するような気がする。

あーあ、夜をゴムみたいにびよーんと伸ばせたらな!

実際は納豆の糸みたい、伸ばすことはできるけど細くて頼りなくて、風が吹くだけでぷつんと切れる。そしてきちんと朝が来る。