貰い物のスプーン
なんだか今日はすごく悲しくなってしまった。
自分が狂ってしまっているのか、脳内でシステムチェックをかけ続ける生活にも疲れてしまった。考えてみたらもうこれ五年くらいやっている?
何をどう診断しても、私は心身共に健康そのものだ。
私のしんどさにはいつも名前がつかないな、でも名前がついたからといって別に楽になれるわけではないし、名前がつくしんどさの方がきっと重篤にちがいない。だからこそ、名前が必要になるわけで。
おもしろい動画を見てわははと笑ったあとの、沈黙。
孤独なことがいやなんじゃなくて、孤独をすんなり受け入れられないことがいやだ。
街を歩くときの私は、誰にも理解されないと思い込みながら、同時に自分を理解してくれる人との出会いを心待ちにしてもいる。
私は自分のそういう浅はかさ、自我のなさが、ほんとうにいやだ。
しまいには成人してそれなりに時間が経つというのに、こうしてローティーンみたいな悩みをネットに放流している。
本当に浅はかだと思うけど、自分と似たようなかなしさを持っている人がこの世のどこかにいるように思えてしまうから、今日もこうやってたわごとばかり書きつけている。
他人と、本当の意味で理解し合うことなんて絶対にできない。
折に触れてそう口にしてしまうのは、自分自身が一番それを認めたくないからだろう。
雨の降っていない日、風を感じながら自転車に乗れるくらいの幸せでいい。
難しいことはいらない。
そんなことを思いながら床でとろけていたら、一日が終わった。