暮らす豆

ゆるい日記など

1000年

12/5-12/6
午前中に起きだして自転車を買いに行くつもりだったけど、予想通り早起きに失敗。
だいぶ太陽が傾いてから、ようやく家を出る。


とっても大好きな喫茶店に行ったけれど満席で、ちょっとかなしい気持ちになりかけたけど、そこで働いている後輩が私に気づいてケーキをサービスしてくれた。
私ってやっぱり人の優しさで生きてんなあ、なんかこう、もっと確固たるものを礎にして生きなければなあ、目の前にあって両手でがっしり掴めるような何かを。と思う。

 

久しぶりに小説らしきものを書く。電車の中とかでなく、まとまった時間を使って書くのはいつぶりだろう。
いつも頭に浮かぶものを浮かぶままに書いてしまうので、なかなか一つの話にまとめることができない。
書くこと自体は好きだしいつまででもやれるように思うけど、それらを順序だてて組み立てて……というやつが、どうにも苦手だ。
ただ趣味で書くなら苦手なままでいいけど、趣味の域を超えて生きがいとして育てていくにはまだまだ努力が必要。

 

小説を書くときは、「Coffee Talk」というゲームのBGMを流していた。
深夜だけオープンしているカフェが舞台のゲームで、常連として小説家の女の子が出てくる。
心地よい音楽を聴いていると、確かになんとなく筆が乗るような気がしてくる。こんなに良質な作業用BGMは他にないのでは?
ゲームをプレイしていない人にも、ぜひ聴いてもらいたい。

https://music.apple.com/jp/album/coffee-talk-original-soundtrack/1495590564

 

日が暮れる頃、かねてから行ってみたいと思っていたお店に行くため電車に乗って都会へ出る。
意を決して向かったのに、お店のドアの前に立つとどうしても勇気が出なくて、回れ右して駅まで戻ってきてしまった。
私は本当に人見知り、特に既に出来上がっているコミュニティに飛び込んでいくのが本当に苦手な人見知りなので、こういうことはしょっちゅうだ。
まあ、今はその時ではなかったんだろう、と無理やり自分を慰めながら帰りの電車に乗る。

 

帰りの電車、携帯を見ると友達から「オンラインでゲームやろうぜ」と連絡が来ていた。渡りに船!
家に帰って暖房をがんがんかけ、でかい声で通話しながらゲームをする。空気が乾燥しているせいで、しきりに咳が出る。
きりのいいところでゲームを終わらせたのに、その後やたらと話し込んでしまった。
知り合いの噂話。お互いの好きな音楽のこと。仕事のこと。価値観のこと。恋愛のこと。
ほとんど沈黙することもなく、気づけば朝の5時だった。

 

あまりにも私が迷走しているので(人生において)、自分探しに付き合ってもらうことに。
「私って、人生において何を大事にしてそうに見える?」と質問してみた。自分の価値観を客観的に知るためのワークだ。
友人1「大事なものだと思ったものをすごく大事にしてそう」
友人2「人との境界線を大事にしてそう」
なるほどなあ、と思った。どっちも的を得ている。
私は自分の世界を自分の好きなものでいっぱいにしておきたい方なので、友人1の言っている通りだと思う。
さらに自分が人からとやかく言われたくないので、相手の領域を不用意に侵さないように気を付けている。これは友人2の言う通りだ。
自分で自覚してはいるが言語化できていなかったところなので、やっぱり友人の存在は偉大だ。

 

先々週から先週にかけて私は鬱々としていて、苦しいけどそれを口に出すことができない、誰かを頼ることができない、どうしようどうしよう、と自ら深みにはまっていた。
でも、いざ話してみたら友達はきちんと私の話を聞いてくれた。抽象的でよく分からないことばかり言っているにもかかわらず。
素直に話せば意外とみんな助けてくれるんだ、今の私はそう思えるけど、1か月後も同じように周りを信じられるかは分からない。

 

次の日はまた昼に起きだして、自転車を買いに行った。
ギアつきにするかさんざん迷って、結局ギアのついていない茶色の自転車を買った。
名前はこないだまで読んでいた「遠い声 遠い部屋」の登場人物「ランドルフ」にした。

 

夜になってから、自転車に乗って近所をぐるぐる徘徊した。夜道をひとり歩くのは心許ないけど、自転車に乗ると向かうところ敵なし!といった気分になれるのはどうしてだろう。
家の周りの好きな道を選んで走った。耳がちぎれそうに寒かったけど、そんなことはどうでもよくなるくらい楽しかった。
この冬はどうせ娯楽らしい娯楽もないだろうし、ランドルフと一緒にたくさん旅をしようと思う。