暮らす豆

ゆるい日記など

要請

 

映像でもない、言葉でもない、けれどもその両方の特性を持ったイメージがふっと立ち昇ってくることがある。

そういう話をします。

 

 

会社の人に「バリバリ働くの向いていないっていうか……今の職種向いてないっていうか……」みたいなことをゴニョゴニョ告げたのが、一昨日。

本当は「今すぐ辞めさせてくれ!」と言いたかったけど、自分でも制御できないところにどかんと座り込んで動こうとしない八方美人が、そうさせてくれなかった。

私の要求は単に「早く帰りたいと思っている人」のそれとして受け止められたようだった。そりゃそうじゃ。

 

今日改めて、会社の人から言われた。

「会社としては別に早く帰ってもらっても問題ないけど、あなたは『真面目』で『責任感が強い』から結局遅くまで残ってしまう。自分の中でもうちょっと仕事に折り合いをつけたら良い」と。

🤪←表示されてるかな。本当にこんな顔をしそうになった。

 

私は『真面目』でも『責任感が強』くもない。

そういう面が全くないとも思わないけど、少なくとも自分のことをそういう人に分類することはない。

いやいや〜と適当に流したら、謙虚だねと笑われ、身体の力が抜けた。

 

 

帰りに駅まで歩きながら、例の映像でも言葉でもないイメージが湧き上がってきた。

アスファルト、街頭に照らされ、足の裏にぴったり縫い付けられて浮かび上がる影。

私は真面目な私から、嫌でも逃れられないのかもしれない。

私はピーターパンじゃないから、私の影は私から離れて自由自在に逃げ回ってくれたりもしない。

 

問題は、影が私になったり、私が影になったり、しょっちゅう入れ替わりを起こすことだ。

アスファルトの裏側にも世界が広がっていて、向こう側では私が影で、影が私。

ぐるぐると世界が回転し続けていて、平衡感覚を失い続けている、苦しい。

 

いくら入れ替わっても、足の裏に影が縫い付けられているその事実だけは不変。

肉を突き破って通した糸がいまだに身体に馴染まず、顔をしかめつづけている。

私のしかめっつらは、外からは笑顔に見えるらしいけど。

 

短歌を詠んだり文章を書いたりするごとに、嘘の明るさに照らされたせいで影になった『私』が濃さを増してゆく。

それはもう、影でなく私だと言っても差し支えないくらいに。

私はずっと思ってる、いつか私になりたい。

私と影とを交互に通過しながら、ずっとずっと、思い続けてる。