暮らす豆

ゆるい日記など

生きづらい生きもの

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駅のホームから改札を目指す。お決まりの案内音声は「ぴぃん、ぽぉん」といった具合、少し嫌味を感じさせる程度には長い。
ひとり歩きながら、数時間前の両親との会話を思い出す。
そういえば、今の仕事は早くやめた方がいいと言ってくれはしたけど、次にどういう仕事に就くつもりなのかは全く聞かれなかった。
その意味を考える。


自分では覚えていないが、話を聞く限り私はかなり癇の強い子どもだったらしい。未だに頑固で、自分で引いた線を他人が勝手に踏み越えてこようとすると、突然怒りだしてしまうようなところがある。
私が何をやるのか、どういう道を選ぶのか、そういったことに関して親からとやかく言われたことはほとんどない。放任主義ではない、たぶん。どちらかというと、内心気がかりでたまらないのに、私には何も言ってこないという方が近い。
そうやって私はぬくぬくと育ってきた。私の辿ってきたレールは親が敷いたものではなく、自分自身が敷いたもの。それを踏み越えることが怖い。


数日前初めて転職エージェントに会ってきた。想像していたよりずっと朗々と話すことができて、自分に驚いた。
まるで嵐のよう、仕事以外のことはほとんどしなかった10月を経て、論理的に効率的に考え続ける力が知らず知らずのうちに身についていたみたい。筋の通った話を次々繰り広げて、私は人に興味がある、人と継続的な関係を築いていける仕事がしたい、というようなことを伝えた。それは全然嘘ではない。
嘘ではないのだが、だからといっていついかなる時もそれが100%真実である、というわけでもない。私はたぶん、自己効力感を得るために人と関わろうとしている。その事実をはっきり直視できているときと、そうでないときがある。
周りから何も強いられていない局面、大抵私は自己というやつを追求したい、という願いをもって行動している。自己効力感は確かに一時的に私を癒しはするだろうけど、それだけではいつまでも渇いたままだろう。
そもそも自己効力感を得るために人と関わるという動機の不純さ自体が結構むりだ。自分自身のために人に優しくする人、そしてそれに気づかず自分のことを優しいと思い続ける人、そういう人になりたくない。


両親と仕事について話している最中、「自分は恵まれている」と思えることは大事なことだ、と父は言った。
その一言に私は、心底びっくりしてしまった。まさかこの世に「自分は恵まれている」という感情を一切持たずに生きている人がいるなんて!
よく考えれば当たり前の事実だけど、恵まれた境遇で生活していることに対する罪悪感に日頃苛まれすぎて、あまり目が見えなくなっていたのかもしれない。

私はいつだって運がよく、恵まれていて、私の身の回りで起こった悪いことのほとんどすべてが私自身の手によって引き起こされたものだった…こう思うことも、傲慢だろうか。
初めて出会ってからもう10年弱くらいは経つのに、私はまだ西加奈子さんの「自分のしたいことを叶えてあげられるのは自分だけ」という言葉を信じ続けている。
世界は己の選択によってできていて、どの道を選び取るかによって世界はいくらでも色を変えるんだ!そう思い続けることは自由であると同時にものすごく不自由でもあって、それがなぜかというと、自分の運命はすべて自分自身の選択に起因するものだと認めることになるから。
私は基本的に腰の重い人間で(本末転倒だ)、かと思えば周りも驚くほどのスピードで重要な決断を成し遂げてしまったりもする。

ちょっと話が逸れてしまった。

そう、私は恵まれている。自分を不幸だと思ったことがないわけではないけど、ほとんどの時間は漠然と恵まれた環境にいる、そうでありながら弱っちくふがいない人間に育ってしまった自分、について考えている。
父と話しても母と話しても、最近はティッシュが手放せない。涙を我慢し続けていると先に鼻水が垂れてくるものなのだ、というのはここ数年で知ったことだ。
私は恩を受けすぎてしまった。たぶん両親は私より早くこの世を去るだろう。それまでに恩を返せる自信が全くない。そもそも何をすれば恩を返したことになるのかさっぱり分からない。受けた恩が背中に積み重なりすぎて、普通翼に姿を変えるであろう私のそれは、鉛のように重い。
もう罪悪感を覚え続けるだけの人生、いやだ!


物が乱雑に散らばった自室に帰り着いて、そこに染み付いた孤独のにおいを噛みしめた。
私はひとりだし、ここで普通に暮らしている限りは人に迷惑がかからない。
広い露天風呂でゆったり足を伸ばしているような気持ちになって、私はいつまでも部屋を片付けることができないのだった。