暮らす豆

ゆるい日記など

水の国

雨が降ると、いつもぼんやりと頭が痛くなるんです。

そう語ると自然に「雨が嫌いな人」にカテゴライズされてしまうが、私は実のところ雨が好きだった。

部屋でひとり本を読んでいても、新宿の駅で人に囲まれながら電車を待っていても、おしゃれなカフェで友人とソーダ水を飲んでいても、雨さえ降れば私の頭は必ず鈍い痛みを覚える。

頭痛は毎度、何よりも律儀にやってくる。だから私は、どこにいようが何をしていようが私は私で、ばらばらに思える一瞬一瞬はすべてつながっているのだ、という当たり前の事実を思い出すことができる。

 

窓の外は、昨日の夜からずっと雨。まだ午前だというのに、まるで夜のように暗い。

お決まりの頭痛はいつも以上にひどく、不本意ではあったもののつい大学の授業をさぼってしまった。ベッドから身体を起こすことすらおっくうだ。枕に顔を埋めると私の世界には雨の音と頭痛以外何もなくなった。

しばらくそのままでいると、学校に通うのが苦痛で仕方なかった中学時代を思い出す。

ああ、あの時もこんな風にベッドにうつぶせになって、この身体がベッドも床も地面もすべてを通過して、どこまでも落ちて行ってしまえればいいのに……などと考えていた。

あれから10年近く時は過ぎて、たくさんの人と出会いいろいろなことを学んできたつもりでいたが、私の本質は少しも変わっていないのだ。

あの日と変わらず、どこまでも沈んでゆくことを望んでいる。

 

 

あのまま眠ってしまったようだ。電気を消して真っ暗な中眠っていたはずなのに、視界がぼんやりと明るい。

まだよく見えない目をこすりながら眼鏡が置いてあるはずの場所に手をやると、そこにはざらざらとした感触があった。

砂?

ただ白けていた視界が徐々に立体感を取り戻していき、そこが海辺であるということを私は理解した。眼鏡をかけていないはずなのに、砂粒の一つ一つが放つ繊細な輝きはぼやけることなく私の目を射す。

右を見ると、砂浜。左も砂浜。振り返ると、砂浜と同じ曖昧な色をした岩山。そして正面に向き直ると、限りなく続くように思える広大な海。

ここはいったいどこなのだろう。海のない地域で育った私には、まったく馴染みのない風景だ。

海の近くはてっきり風が強いものだと思っていたけれど、頬をなでるそれは柔らかい。風でふくらんだぶかぶかの白いTシャツが砂で汚れているのに気づき、あわてて裾を払う。

一抹の不安を覚えつつも、こんな状況は今に始まったことではない、とどこかで思っている自分もいた。私はいつもどこにいるのか、何をしているのかうまく人に説明できない。きちんとした理由があるはずなのに、言い訳しているような気分になってしまう。

だけど見渡す限りここには誰の気配もない。動いているものと言えば波くらいのものだ。

それならせめて今くらい自由に振舞ってみたい、そう独りごちて私は海へ向かってまっすぐ歩く。

 

裸足でこわごわと波に踏み出すと、それは危惧していたほど冷たくはなかった。風に揺れた耳たぶに触れると、ちょうど同じくらいの温度ではないかと思える。

私は定期的にやってくる波が足首にまとわりついて、また離れていく様子を見つめる。それはやたらと有機的だったけれど、いつか私の心臓が止まる日がきても海の営みは決して終わることがない、そう思うと実は全然別のものなのだろうか。

目を閉じる。薄い雲に覆われた空は全体的にぼんやりとして白かったはずなのに、目蓋を通してみると太陽の位置をはっきりと認めることができるから不思議だ。

寄せては返す波の音に耳を澄ますと、それは単純なようでいてとても複雑であるということに気づく。

この音が隠し持っている法則のすべてを解き明かすことができたら、この世の真理にも到達できるのかもしれない……でも、真理って一体なんだろう。

 

 

唐突に目を覚ました。目に映るのは見慣れた自分の部屋、真っ暗な上眼鏡をしていないので部屋の様子は闇に滲んでほとんど分からない。

先刻よりも雨の音はさらに激しくなっていて、遠くに雷の音まで聞こえる。

お腹が空いた、チャーハンでも作ろうかな。そう思って立ち上がって初めて、私は慣れ親しんだあの頭痛がきれいさっぱりなくなっていることに気が付いた。