暮らす豆

ゆるい日記など

ずっとティーンエイジャーだった

 
 ようやく自分の生きづらさに合点がいった! と思っているだけできっと実際のところそんなに上手くはいかずまた泣いたり喚いたりするのだろうけど。自分の中の、曇ったまま永久に晴れないと思われた部分に少しずつ切れ間が見え始めたので、やっぱり何かの一区切りはついたと言えるだろう。
 それを認めるために、今日は少し文章を書きたい。
 
 小学校高学年か、それか中学生の時だったかもう忘れてしまったけれど、とにかくティーンに片足突っ込んだ時期のこと。
 月並みな言葉だけど、私はその時自分のことが好きだった。大抵のことは上手くこなせて、友だちもそれなりにいて。傷つきやすいきらいはあったものの、繊細とは言えない程度に鈍感で。まあそんなことどもはどうでもよくて、私が自分を好きだった一番の理由とは、ずばり他に負けない個性を持っているとためだった。
 今にして思えば、そんな何に自信を持っていたのか分からない。ごく一般的な(というにはいささか子どもに甘い両親のいる)家庭に育って、これといって特別なこともせず。強いていうなら、他の子どもが好きになるものから少しずれたものを好んでいた節があったかもしれない。でもそれは嗜好の話で、私自身の個性にはならない。
 とにかく私は自分の個性を信じていた。揺るぎない個性を持っていることはその時の私にとって最も尊いことだった(これは今でもあまり変わっていないけど)。私の内から生まれるものは、きっと何かを動かす力を持っている。そんな風に思っていられた。
 だから、習ってまだ数年のピアノを弾きながら、ある時こんな風に思ったのだ。『私なら、作曲ができちゃうんじゃないの?』胸がはずんだ。それまで信じていた自分の個性を、目に見えるところへ取り出していつくしむ作業。わくわくしながら鍵盤に指を置いて、私はそのまま固まってしまった。
 本当に何も、音の一つさえも、浮かんでこなかったのだ。
 普段は何時間でも好んで弾いていたピアノの蓋を閉め、その場から離れた。あの瞬間は、とにかく恐ろしかった。仲良くしていた友達が実は空想上の存在であることに気づいたとか、感覚としてはその辺りが近いと思う。ドアの向こうにいると信じて会話を続けた大切な友だち、いざドアを開けたらそこは空っぽで、椅子のひとつさえもない。
 安い絶望だと今でも思う。先述の通り私はただピアノを数年ぽっち習っただけで、作曲の勉強なんてしたこともない。何も浮かんでこないのが当たり前だ。でもその時の私は目の前に広がったがらんどうの空間に驚いてしまって、すぐにドアを閉めてしまった。そこから、平凡であることへの恐れが私の中に住み着いた。それはドアの向こうではなく私の肩の後ろに立ち、ずっと私のそばにいた。
 
 私は何も生み出すことができない、平凡で無価値な人間だ。
 ずっと私を苛んできたその恐怖が薄れ始めたのは、実はつい昨年のことだった。何があったかといえば、二次創作を始めたというのが一番大きい。
 このブログを読んでくれている人は、二次創作より一次創作に縁が深い人が圧倒的に多いと思う(思い込みかもしれないけど)。キャラクターや物語を一から考える一次創作と違い、二次創作はある一つの完成した作品をベースに『あったかもしれない風景』を描き出すものだ。何か書けるようになりたいと思いつつ、小さい頃に垣間見たあのがらんどうの部屋に向き合うのが怖くて一歩踏み出せない。ずっとそうやって燻っていたけど、二次創作を始めたことで何か、自分の中に新しい流れが生まれたように思う。相変わらず部屋の中は空っぽだけど、窓が開いた、と言えるのかもしれない。流れ込んできた風、風が運ぶ外のにおいや枯れ葉、そんなものを飽きずに眺めているうち私は何冊も本を出していた。純粋に楽しかった。個性がない私の中からも、確かに生まれ出るものがある。四半世紀生きて、やっとその事実に気づくことができた。
 
 先日、戸田真琴さんが監督をしている「永遠が通り過ぎていく」という映画を観た。映画の内容についてはまだ触れたくない。それくらい私にとって大切で、得たものを安易に言葉にして損なってしまうくらいなら長いこと黙っておきたいと思うような、そんな作品だった。この記事を読んでいる人の中でまだ未視聴の方がいたら、是非観ていただきたい……というより「観たい」と表明してほしい。上映館が多くないので。
 ここでは、映画本編でなく映画が終わった後の戸田真琴さんの言葉についてだけ話したい。戸田さんは「みんなに向けて書くとどうしても上手くいかないので、いつも特定の一人に宛てる気持ちで作品を書いている。実在の人物に宛てて書くこともあれば、そうでないことも、また自分自身に宛てて書くこともある」というようなことを仰っていた。メモを取っていた訳ではないので間違っている箇所があるかもしれないけれど、私の心にはそういう意味合いで届いてきた。
 その言葉は、映画本編と同じく私にとってかなり衝撃的なものだった。それまで何冊も二次創作で本を出しておいて、私には「誰かに宛てて書く」という発想がまったくなかった! その後考え込んで、私はずっと自分自身に宛てるつもりで文章を書いていた、ということに気がついた。二次創作だから作品に私が登場することなんてないし、キャラクターへ安易に自分自身を投影してしまうことの危険性を理解してそういった表現はできる限り使わないよう気をつけている。それでも、自分自身を救いたくて、物語を通じて一つの輪っかを綴じたくて、ずっと書いていた。便宜上ここまでは一次創作と二次創作を明確に区分して書いてきたけど、結局のところ自分を含む誰かに宛てて書くものであるという本質は同じ。意味があると思える何かを生み出したくて書き進めた文章には、『自分を救いたい』という、にじみ出した一つの答えがあった。
 
 『自分を救いたい』。ここまで来てもやっぱり、平凡な発想だと思う。この言葉だけで自分の揺るぎない個性を信じられるとしたら、私は相当楽観的だ。
 私は平凡をずっと嫌ってきた。平凡、他の人に簡単に混じり合ってしまう、同じ色に染まってしまうということ。でも平凡であるということが他者と同じであることを意味するなら、私が私を救うために書いた文章は、他の誰かを救うこともできるんじゃないか。
 傲慢は罪だと思う。私はまだまだ未熟で、長い文章を書くことが得意でないし、誰かに何かを伝えられるレベルまで辿り着くには途方もない時間が必要だろう。いや、そもそも人の心を動かしてやろう救ってやろうと思って文章を書くこと自体とんでもないエゴ、人との間に引くべき境界線を大幅に超える行為だと思っている。
 だから私は、一つ約束事を決めた。私は今後もずっと、自分を救うための文章を書き続ける。風通しが良くなっただけでいまだにがらんどうの部屋を直視するのが怖くても、そこにいつか何かが芽吹くと信じたいから。その道を進み続けて、その過程で自分と同じように感じている人を救うことができたら、それこそが私の思うベストだ。
 
 今、同時に三本くらい小説を書いている。仕事だって忙しいというのに、本当にアホな話だ(資格を取れという職場からの要請はなあなあにして先延ばしし続けている。そろそろ本当に怒られそう)。一次創作も二次創作も混在していて、結構脳内が混乱している。
 でも、自分自身を救いたいという筋が一本通ったことで息がしやすくなった。何かを生み出さなければいけない、あるいは他者に尽くさなければいけないなどといった強迫観念から自由になって、私は未来永劫自分自身のために書き続けたい。
 もしかすると、私はこれまでずっとティーンエイジャーだったのかもしれない。この頃はそう思っている。もちろん十代はとっくの昔に終わったけれど、自分がこわいもの、乗り越えなければいけないものを直視せずに進んできた人生だった。だから些細なことで簡単に傷つき、すぐ自分の殻に引きこもってばりいた。
 でも、もうその悩みは私を通り過ぎてしまった。大きい子どもから小さい大人になって、これからの自分が何をできるのか、今は結構楽しみだ。

 

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