暮らす豆

ゆるい日記など

 

意味を成す記号に収束していきたくありません😭!!

 

と思うのは、実際のところ私が記号、アルファベットで言うところの“e”程度にはありふれた性質を持っているからなんだろうな。

 

嘔吐が出来ない代わりみぞおちのあたりに指を突っ込んで、なけなしの自分らしさをぶちまけながら目先のしんどさをやり過ごす。

そのゲロのこと、キラキラとか虹とかで修正しなくても世の中に流してしまっていいとか、思っていない?

 

 

プレゼントしていただき部屋に飾った花(そんなことをしたのは、生まれて初めてだ)のいのちが、ゆっくりと終わりに近づいている。

終わりに近づけば近づくほど匂いが濃くなって、いただいたばかりの時には感じなかった生物としての気配が、今手で触れて分かりそうなくらい強い。

生活をしていきたい。人としての徳は高くなくていい……五月の風のしめっ気とか、裸足で触れたアスファルトとか、本当はそういうところに知りたいことがあるはずだった。