暮らす豆

ゆるい日記など

鎖と鉢植え

7/18

土曜日。不安から目を背けるように充実した休日を過ごした。

 


最寄駅で用事のいくつかを済ませた後、電車に乗って映画を観に行った。休日になると時間の感覚が普段より緩くなって、当たり前のように上映開始に間に合わなかった。おそらく冒頭30秒くらい見逃したが、なんとか座席に滑り込む。

 


WAVES」という映画を見た。劇中音楽にいろいろなアーティストの曲を使っているという。私が知っているのはRadioheadとTame Impalaだけだったが、吸い込まれそうに美しいポスター画像に惹かれて見ることにした。

思ったより、私が苦手な(嫌いではない。涙が意図せず出てきてしまうためだ)家族愛要素が強かった。登場人物の不安が瞬間的に増幅されていく描写がリアルすぎて途中目を背けたくなったけど、物語の随所に挟み込まれるカラフルな靄がとにかく美しくてそれがすごく好きだった。後から知ったけど「ミッドサマー」と同じ映画会社が制作したらしい。テーマは全く異なるけれど、言われてみればカメラワークや魅せ方は確かに似ていたかも。

ある登場人物は、作中決して許されない罪を犯してしまう。罪の重さは変わらないが、ただその人自身を責めるだけではあまりに視野が狭すぎるのではないか。好きでそうしたわけではない、ということは映画をきちんと観れば絶対に分かるはずだ。許されない行為をするに至るには必ず原因が、またその原因が生じ得る環境がある。

この作品を、ただ「〇〇クズじゃん」で済ませることもできるだろう。でも私はそうやって生きたくはない。人の人生をおもちゃのように放り投げて片付けてしまいたくはない。と思った。

 


綿矢りさという作家は多くの名作を世に送り出しているけど、私の心に最も大きな波紋を広げたのは、高校時代に読んだ「You can keep it.」というごく短い話かもしれない。以下、主人公のセリフを引用。

「物を撒くと人の心には芽が出るんだー喜びと警戒で頭を重くした双葉がね、それでその双葉の鉢を抱えて人は俺としゃべるわけだけど、両手のふさがった奴なんかに俺が負けるわけないのさ」

人に何か親切しようと思ったとき、無意識のうちにこのセリフを頭の中で再生しているように思う。その親切心は本当に相手のためを思って生じたものだろうか?自分が相手に親切にすることで優位に立とうとしてはいないだろうか?それらを考えた上で、相手に親切にすることは果たして本当に自分のポリシーに沿っていると言えるだろうか?

いろいろ考えた末、私はたいてい行動しないという道を選ぶ。それは多くの人にとって理解しがたいこと、愚かなことらしい。

 


相手のためを思いやって行動する、ONE FOR ALL, ALL FOR ONE。それらは幼い頃から繰り返し言われてきたセリフだし、周りのために行動するのが正しいというのはなんとなく私にも分かった。

だけど、所詮は砂でできた城のように脆い価値観だ。先ほど引用した言葉が身体に染み渡っていくのと時を同じくして、上からじょうろで水をかけたように、じわじわと崩壊していった。

自分のために行動することと、他人のために行動することが正義。他人のためを思ったように見せかけて、自分のために行動することこそが悪である。そう私は思うようになった。思えばそこから自分で自分の首を絞める生活が始まったのかもしれない。

 


年を重ねるにつれ、自分の汚い面をまざまざと見せつけられることが増えてきた。私は平気で人に嘘をついてしまうし、相手を思いやった振りをして自分の身を守ったりする。そのたび私は、後からつい身悶えしてしまう。自分の涙で肌がかぶれるみたい。確かに自分の一部であるはずのものが原因で、こんなにも苦しい。

 


「天体」という曲を聴きながら夜空を見上げたけれど、そこには黒に限りなく近い灰色の雲が広がっているだけだった。誰も彼も、信じるべき道しるべを持たない。

 


今日の一曲:

Lost In Yesterday/Tame Impala

https://music.apple.com/jp/album/lost-in-yesterday/1497230760?i=1497231163