暮らす豆

ゆるい日記など

身を焦がせ

6/21

日曜日。すごく雨が降った。

 


家を出る時母に「雨降りそうだから折り畳み傘持ってけば」と言われたが、傘が嫌いなのでそのまま玄関を出た。軽くて小さなトートバッグひとつで外出できるのは楽でいい。

 


久しぶりにショッピングセンター的なところへ出向いたら、人がものすごく多くてびっくりしてしまった。実は自粛していたのは自分ひとりだけで、みんなこの数ヶ月普通に過ごしていたんじゃないか、なんて錯覚に陥るほど。

 


なるべく早く用事を済ませて、帰りしなタリーズに寄った。幸い混み合っておらず、ほどほどに席が空いている。スタッフがとても丁寧に使用可能な席を案内してくれて、そういえばここ数ヶ月未知の他人とコミュニケーションをとることがなかったなと思い出した。サービスは別に親切心からするものではないが、それでもサービスの枠を超えて親切な人に出会えると嬉しくなる。

飲み物を受け取って、席に座る。私のお目当ては、ここのハニーミルクラテ!

好きな食べ物をひとつだけ挙げろと言われたら小一時間悩んでしまうだろうが、飲み物ならすぐに答えられる。タリーズのハニーミルクラテ。高1のときテスト勉強のためにおそるおそるタリーズを訪れた私を甘やかし、虜にした味。蜂蜜を使っているけどベタベタした味がせずすっきりとした味わいなのがよい。

そんなハニーミルクラテを時折マスクを外してすすりながら、先日代官山蔦屋にて手に入れた星野文月さんの「私の証明」を読んだ。

感想はまだきちんとまとまっていないけれど、ご自身の名前を「とても悲しいことを享受しなければならないような名前」と表現されていたのが印象に残った。

私の本名は至って平凡、少々勝気そうな印象を与える程度だ。名前に見合った、そこそこの暮らしをしていると思う。そんな私はなんのためにこのブログを続けているんだろう、と考えてしまった。頭の中に生まれるイメージや思いを何らかの形で残しておきたいからというのが一番すっきりした答えだけど、誰かに読んでほしいという思いもどこかにある気がする。

そして星野さんのありのままを綴った文章(都合のいいように書いている部分もあると書かれていたが、それを表明できるという事実も含めて)を、シンプルにカッコいい、と思った。このブログは私の生活の5%くらいを汲み取り、そこから文章にできる部分だけをさらに濾し取って書いている。その濾過のプロセスで自分の汚いところを意図せずつまみ出していたな、趣味の世界に来てまでも無意識に自分をよく見せようとしてしまうのは嫌だな。うすうす勘づいてはいたけれどはっきり自覚できた。

 


帰り、遠回りしてお気に入りの道を歩くつもりだったのに雨が降ってきた。仕方ないなあまっすぐ帰るか、とのんびり歩いていたら急に雨が強くなってきてあっという間にどしゃ降りになった。傘を持って出てこなかったこと、雨が降ってきてもなおだらだら歩いていたことを総合すると自分はアホだなあと思う。でもただ自分が濡れるだけなのでそんなに嫌でもなかった。一匹で行動するのってそういうところがいい。

 


結局近くのコンビニで傘を買った。

どしゃ降りですれ違う人に聞こえないのをいいことに、大声で歌いながら帰った。

 


使っている手帳アプリの6/21の予定には「この日までは何があっても生きる」と入っていた。なぜなら今日は、とてもとても好きで応援しているバンドのライブ配信があったから。

部屋を真っ暗にしてスミノフを携え、開始時間を迎えた。この自粛期間を共に耐え抜いてきた曲たちがライブアレンジによってさらなるパワーを持ち、すっかりふやけた感覚器官を叩き起こす。ボリュームを上げる手が止まらない。あまりに楽しくて、一瞬で終わってしまったように感じられた。

こんなに光あふれる音楽を作った人たち、しかもそれを演奏している人たちが実在するなんて。何度もライブに行っているのに未だに信じられない。配信サイトにはコメント欄が用意されていたけれど、言葉を使うより目の前で力いっぱい拍手する方がよっぽど感動を伝えられる気がした。この気持ちを伝えるのに数行だけでは、とても足りない。もどかしい。

私の身体はライブによって生かされているのだ、とはっきり思い出せた。とてもいい一日だった。

 


今日の一曲:

台風/ナツノムジナ

https://music.apple.com/jp/album/%E5%8F%B0%E9%A2%A8/1469540163?i=1469540441