暮らす豆

ゆるい日記など

音楽は

 

肝心なときに、何もしてくれない。

 

ばちぼこに嫌なことを今まさに経験しているとき、決まって音楽はそこにいない。

代わりに鼓膜を震わせるのは誰かの罵声、苛立ちを隠そうともしないため息、耳に入るだけで苦しくなるような轟音。

あるいは、徹底的な無音。

 

音楽は救いなんかじゃない。

嫌なことを綺麗さっぱり忘れさせてくれる音楽なんてない。

音楽は空間を自由に飛び越える代わり、時間という制約に縛られていて、いつか必ず終わりが来てしまう。

なんらかの手段で再生することはできるけど、それはあくまで““再””生であって、リピートを繰り返した先に何かが生まれるわけじゃない。

 

それでも、私は音楽を聴き続けている。

その道を選択できるのは、月並みな言葉だけど、本当にしあわせなことだ。

 

音楽は救いなんかじゃない。

でも私はありがたいことに、そんな音楽をお守りにして生きるやり方を知っている。

ばかみたいに泣き腫らした顔して、ばかみたいに拳握りしめて、ばかみたいにむくんだ足でなんとか立ち続けることを知っている。

 

NO MUSIC NO LIFEなんてうそだ。

私は食べなくても寝なくても死ぬけど、音楽がなくても死なない。

その代わり、出会えなければ私が私でいられなかっただろうと、そう思える曲を宝物みたいに抱えている。

 

音楽があって本当によかった。