暮らす豆

ゆるい日記など

子供たち

12/9

 

まあまあ長い付き合いになる友達とお酒を飲んで、すごく楽しくなって、たくさん喋って!そしてひとりになって、初めからひとりだったときよりずっと悲しい。どうして?
駅のホームで崩れ落ちそうになる。どうやって自分を繋ぎ止めたらいい。明日の私はどうやって呼吸している?
ここは都会で、何百匹も何千匹も何万匹も人がいて、それなのに私を知っている人はただの1人もいない。単純にそのことが悲しい。今私が死んでしまったらきっとここにいる何百匹かは私のことを認識してくれるだろうけど、生き続けるだけなら、私は誰の心にも引っかかることはない。すいすいと、まるで泳ぐかのように、孤独でいられる。孤独がいいのに寂しくて、寂しいのに孤独がよくて、こんな自分のアンビバレンスに何度も振り回されてきた。こんな状況では自分の悲しみにアクセスしてくれる確かな手段が必要で、今の私にとってはそれがとあるアーティストの音楽で、だから縋るように毎日その人たちの音楽を聴いている。本当に毎日、暗闇の中で光を探すみたいな必死さで。
私は人の悲しみに寄り添いたい。励ましや慰め以外のやり方で。でもそれはもしかして、自分の悲しみに誰かが寄り添ってくれることを望んでいるだけ?
何もいらないのに全部ほしい。ずっと眠っていたいのにずっと起きていたい。いつも対極の間をゆらゆら揺れているのに悲しみだけがずっと染み付いて消えない。この悲しみは水溶性ではないため、いくら涙を流したところでどうしようもないのだった。ただ睡眠だけが私を別の世界に連れて行ってくれるので、私はひしと枕を抱きしめる他ない。