感情と解像度
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分かっているんだ。私が周りから優しくしてもらえるのは、日頃の行いがいいからでも、好かれているからでもない。それは、腫れ物だから。少し触れただけで大げさに痛がり、泣きわめく人間だと思われているから。そしてその事実にまた傷つく、救いようがないな。
うーん、少し考えたけどそれでもやはり、「自分が耐えられたんだからあなたも耐えられるはず」論はどうしても受け入れがたい。
これは万人に共通なのでは?と思うけれど、個々人の心をキャンバスになぞらえたとき、喜びとか幸せは水彩画のように、比較的ぼんやりしたタッチで表されると思う。でも、悲しみや苦しみは大抵すごく細かい筆で精緻に描きこまれた写実絵画のようだ。どちらも遠くから見てなんとなく分かったような気になれるのは同じだけど、近くで見た時とのギャップがより大きいのは悲しみや苦しみの方。ふんわりした喜びは共有しやすいけれど、苦しみはなかなか他人と分かち合うのが難しい。お互い分かり合ったつもりで、実はすれ違ってしまうこともしばしば。
お前の傷なんて大したことはない、と言ってしまうことは簡単だけど、そう口にするあなたは私の傷を、そして自分自身の傷を、間近に見たことはあるのだろうか?
自分の足で歩かなければ、物語は前に進まない。幸せも不幸も、ただ立ち尽くす人には降ってこない。踏み出す勇気のない人間を快く受け入れてくれるのは、終わりが見えないことの苦しさだけ!
私には欲しいものや見たい世界がたくさんある。踏み出したい。今が踏み出す時なんだ。目先のことにばかりとらわれてタイミングを逃してしまうなんて悔しい。やっぱり迷惑がられたとしても、今のまま働き続けることは諦めたほうがよさそうだ。勇気、勇気、嫌われる勇気!