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竜胆

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2020年11月5日。オンラインで配信されたライブ「6irth∂ay」において、Maison book girlは「ghost」という新曲のパフォーマンスを行った。

 

結局「ghost」が披露されたのはそのライブ一度きりで、音源化もされていない。
けれども私の中にはあの日の、白い衣装を纏ってくるくると踊る彼女たちの姿が未だに焼き付いて離れない。

 

「あなたの悲しみに寄り添う」。


パフォーマンスで使用された、竜胆の花言葉だ。

蕾の開きかけたそれを四人は慈しんだり、取り落としたりもしながら順番に手渡し、最後にはそっと床へ横たえた。

 


翌年5月30日、Maison book girlは削除された。

最後のライブ「Solitude HOTEL」については、這う這うの体でなんとか会場から帰宅した直後に他サイトで投稿したことがある。


ただでさえ支離滅裂な文章が動揺によってぐちゃぐちゃになっている、今読むと恥ずかしい投稿だ。
それでもMaison book girlが存在したこと、その存在によって大いに救われていた人間がいたことを書き記しておいてよかったと思っている。

 

ライブ後に投稿された、いわゆる「考察ブログ」は数知れず。
私も彼女たちが永遠に舞台から去ってしまったということを認められずに、何度も何度もそういった記事を読んだ。


削除されてしまう前に、この世界に何らかの種を蒔いていてくれたのだとしたら。希望を持つことで、救われたかった。

 

でも、今ならもう分かる。私には初めから、そんなものは必要なかった。
Maison book girlが6年と半年活動を続け、その中で「あなたの悲しみに寄り添う」道を一瞬でも選択した、その事実に私はとっくに救われていた。

 


既に何度も語られている通り、彼女たちは活動の中でだんだんと自分の意思を持っていったように受け取れる。

 

本の家の少女たちは、はじめ記憶の再生装置だった。
汚くてくだらない外の世界から切り離され、黒と白、ときどき赤と青が差す部屋の中で、ただ立ち尽くしていた。
その部屋に扉はない。
水の音が、ただどこからか流れ続けていた。

 

私が初めて出会ったのは「YUME」というアルバムだった。
「YUME」のMaison book girlは、永遠にループし続ける夢の中、走ることで乱れた自分の息さえも冷たく眼差しているように思えた。

 

でも、それ以前のアルバムから十分に聞き込んでみれば分かる。
その時点でもう、外の世界へと繋がる白い扉が生まれていたのだと。
夢がループする直前、つまりは夢の最後に、彼女たちは扉の向こうの「君」を明確に眼差していた。

 


その後こわごわ覗き込んだ鍵穴の向こうに「君」が立っていたら、もしかしたらまた違う結末を迎えていたのだろうか?


でもそんな風に上手く行くのって、ちょっと嘘くさい。私はそう思う。


実際鍵穴の向こうには海、それから宇宙、つまりは四人が両手を広げても到底収まりきらないものたちが広がっていた。

 

それまでの四人が見てきた部屋の壁からは及びもつかない広大な世界。そこに蔓延る無数の生命。
けれどもそれらをじっくり観察してみれば、その中には彼女たちが延々と再生し続けてきた「思い出」との共通項がいくつも見つかった。

 

鍵穴の向こうに「君」はいなかった。
でも同時に、どこを見ても「君」がいた。

 


彼女たちが鍵穴の向こうを覗き続けるのをやめ、とうとう扉を開けたのは、いつだっただろう。
冒頭に戻り、私は「6irth∂ay」こそそのときだったのではないか、そう思っている。

 

「あなたの悲しみに寄り添う」。


それまでMaison book girlの活動に、明確なメッセージはほとんどなかった。
先述の通り、彼女たちは記憶の再生装置で、ただ一つの思い出を延々と繰り返していたから。

 

扉を開けた「僕」は、どこにもいなくてどこにでもいるただ一人の「君」を眼差した。
そして「君」は、「僕」をとうとう見つけた。

 

これこそが、Maison book girl削除のトリガーだったのではないか。

 


Solitude HOTELの本編は「僕を見つけて」「本を燃やして」という言葉で閉じる。


そしてその後、崩壊したホテルの跡地にて、蝉の声の隙間を縫い最後に歌われたのは「last scene」だった。

 

見つめたかった。

見つけられたかった。


でも、僕らの夢はいつも叶わない。
明確な一人称を得ると同時に、Maison book girlは削除されてしまった。

 


私は、一生Maison book girlのことを考え続けていたい。

ここでいくつか、こう表明することで勘違いされそうないくつかの事柄についてあらかじめ弁明しておきたい。

 

その一、「突然活動終了した」という衝撃や話題性を評価しているわけではない、ということ。

 

その二、ライブの個々の演出の意味だけではなく、それらや楽曲、パフォーマンスを総合して彼女たちが辿った軌跡について考えたい、ということ。

 


「あなたの悲しみに寄り添う」というのが、結局のところどういうことなのか。
隣に座って頭を撫でてくれることだとは思わない。
というか、そんな分かりやすい寄り添いなんていらない。

 

もっと、日本中どころか世界中の「君」にだって寄り添える心をMaison book girlは持ち合わせていた。私はそう信じている。


結局のところ、Maison book girlは彼女たちの部屋ごと世界から削除されてしまったので、もうそれを証明することはできない。

 

証明はできないけど、考え続けることはできる。
私は「悲しみに寄り添う」人でありたい。表面的な意味でなく、もっとずっと深いところで。

 

だから、Maison book girlについて考え続けることをやめない。
ここに宣言します。

 

Maison book girlの夢は叶わなかったかもしれないけど、私は彼女たちの夢を諦めたくない。

 

私の胸の中にある、そしてきっとMaison book girlを好きな誰かの胸の中にもある小さな部屋の中で、彼女たちがずっと歌い続けていてくれたらいいな。

 

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