先輩の話
先輩は、いついかなる時でも手袋をしていた。
頭の真上で太陽がぎらぎら光る昼下がりでも、戯れにピアノを触る時でも、一緒にディズニーランドで遊んだ帰り道でも、先輩が手袋を外すことはなかった。学年が違ったからプールの授業の時どうしていたのかは知らない、そういえば。
レイナやマコトはそんな先輩のことを「変だ」とか言って馬鹿にしていたけど、私はそんなに気にならなかった。
たぶん、慣れていたからだろう。私のお母さんは手荒れがひどく、冬の間はいつも手袋をつけて生活していたから、あまり抵抗を感じなかったんだと思う。
いや、今思えば、お母さんだって夏場は「汗でかぶれる」と、手袋をしまい込んでいた。
今でも分からない。
あの時、どうして先輩に聞いてしまったんだろう。
いや、むしろ慣れていたからふとした瞬間何気なく口に出てしまったのかもしれない。
「先輩って、なんでいつも手袋してるんですか?」
その日は朝からたくさん「今年初の猛暑日」という言葉を聞いていた。先輩は校庭脇、申し訳程度のぬるい水しか出ない水道に口をつけているところだった。
「え、知りたい?」
「まあ、知りたいです」
私は、あたりがやけにまぶしいと思った。それは特別なことじゃなく、ただ校庭の砂が太陽の光を反射して白っぽく光ってるというだけのことだった。
「見せたげる」
先輩は意味ありげにそう言って、左手で右の手袋を掴み一気に抜き取った。
「なんだー、普通」
指が少しふやけているように見えるものの、それは実際普通の手だった。陽に晒されることがないはずなのに、ちゃんと先輩の首筋と同じ小麦色をしていた。
「でしょ」
先輩は笑ったりせず、右手袋を元通りはめようとした。汗で滑るのかなんなのか、その様子があまりにも不自由そうだったので、私は声をかけた。
「片手じゃ手袋しにくいですよね? 手伝います」
「ありがと、じゃ」
私は先輩から右手袋を受け取り、反対の手でそのまま左手袋を抜き取った。
「あっ」
「あっ」
左手袋が、私の手から離れて砂の地面に落ちる。
初めて見る先輩の左手は、一見普通に見えたけれど、よく見ると何かが変だ。
小指。小指から、紐のようなものがひょろりと伸びている。
「やめて、西村」
先輩の声は全然いつも通り、ちっとも動揺なんてしていなくて、何故だかそれが腹立たしい。
何かが胸の内で弾けるのと同時に、私は紐を思い切り掴んだ。
「」
紐が大きく伸びる。そのまま、しゅるしゅるしゅる、音を立てて先輩の身体が柔らかく崩れる。あああ、そこでようやく後悔したけど、もう止められない。
どこか耳に心地良いその音が止むころ、先輩はすっかり小麦色をした毛糸のかたまりに変わってしまっていた。
砂の上に大きくとぐろを巻いたその姿は、やっぱりいつも通りに思えた。