暮らす豆

ゆるい日記など

木立と湖

11/3

 


本当に全然その気がないのに、ホームに滑り込む電車の音を聞いて、あ、飛び込む?と思ってしまった。いや、何?

 


きっと今の私は冷たい湖に足首だけ浸して、その心地よさに魅了されている。全身を水に沈めるとなると、また話は変わってくる。

 


でも本当は、潜っていきたい。息の続く限り深く深く、誰の力も借りずにひとりで。

毎日毎分毎秒誰かに申し訳ないと思ってしまうことにすごくすごく疲れていて、だから誰にも迷惑をかけず、ただ自分とは何かを探求したいのだ。

 


二十余年、勇気の出ない人生だった。一度として冒険することがなかった。だから湖に飛び込む決心がちっともできない。それ以前に、自分自身の中に眠っているであろう強い感情の手触りが怖い。決められたレールから外れた自分を認めるのがおそろしい。

 


今までだったらなんとかやりすごせたんだろう。湖の心地よさをある程度楽しんだら靴を履いて踵を返し、明るい街に戻ったことだろう。

でも、もう私は気付いてしまった。むりだ。もう靴は履けない。むりむり。ふやけた足に靴擦れが痛い。明るい街で朗らかに振る舞う自分もむり。陰気なくせに。

 


ひとりになりたいのに、同時にいまこのしんどさを誰かに分かってほしいという思いもある。

いつも葛藤している。答えが出ることはないまま、世界に及ぼす影響が少ない方の選択肢をいつも取る。そのしわ寄せが今ここに来ているんじゃないか。

 


少しだけ息を吸って、吐く方はたくさん、そのまま倒れ込むように湖に沈んでいけたらいい。目に見えそうで見えない社会の力ではなく、自分の手と足で道を選択したい。知ってしまったからにはもう、これ以上今みたいな生活はできないよ。