暮らす豆

ゆるい日記など

1:37

10/27

 


仕事で外出する用事があった。電車を使うと遠回りなので、せっかくだし散歩がてら歩いて行くことにした。Google先生によれば37分の距離。

 


秋の空気は春のそれと似ているけれど、みなぎるような猛々しさがない。笑顔でいることも活動的であることも強いられない、ありのままで過ごすことを許してくれる感じが好きだ。春が朝なら、秋は夕方?坂道を歩いているとさすがに汗がにじむのを感じて、信号待ちの隙にコートを脱ぐ。

 


途中小さな橋を渡った。川面にはじらじらと滲んだ景色が映っていた。写真に撮ろうとしたけれど、思ったような画にはならない。「肉眼レフ」という言葉を考えた人は天才だと感動する。何度も何度も思っているけど、この感動は色あせることがない。

 


地図アプリを凝視しながら歩いていたのに、曲がる道をしっかりと間違えた。引き返そうとした瞬間、鼻腔をなんだか懐かしいにおいの風が通り抜ける。ほんのりと苦味が鼻の奥にまとわりつく、これは…シャボン玉液?

電車に乗って目的地に向かっていれば、曲がる道を間違えていなければ、つまりはきちんと最短距離を取って生きていればまず思い出すことがなかったであろう、懐かしいにおい。残念ながらにおいの元は見つけられなかった。

 


そんなのんびりとした時間、私のいちばん好きな種類の時間はあっという間に過ぎた。

笑ってしまうくらいやらなければならないことがたくさんあって、涙が出てくるくらい急かされて、毎日生きている。私は時間をこんな風に使いたくない。こんな暮らしには、死んでしまいたいという感情を持つことすらもったいないと思う。何やってるんだろうな。身体の周りが透明なジェルに包まれていく、この物質は何か私がものすごく大事にしたい感情?みたいなものを何日も何日も煮詰めてできているという気がする、つまり私は今の暮らしのために自分のすごく大切にしたいものを犠牲にしている。早くやめろと言われるがやめられない、私は明日も明後日も当然会社に来ると思われている、その期待が重いし怖い。

 


そんな感じで終わらない仕事を終えて家に帰りつき、カップ焼きそばを食べる。

私は固めが好みなので、本当は5分置くとこ4分半で食べ始める、そして待つ間いつも携帯を見ている。

1時37分に食べ始めたらちょうどいいな、と思いながらだらだらしていた。36分がやけに長いな、と思っていたら、瞬きした間に36分が38分に変わっていた!疲れているのはiPhone、それとも私?

1時37分はもう2度と手の届かない場所に行ってしまった。狐につままれたような気持ちで食べる焼きそばは、いつもよりしんなりしていた。