ゆるい自分
8/23
「ゆで卵のように固くなってゆく」
これは、私の携帯に残されていたメモだ。
今の仕事をしている限り、気を配って配りすぎるということは決してない。
私が立っている場所と目的地の間には無数の道があるのに、その中からたった一つの最短ルートを選び取るよう促される。自分なりに知恵を振り絞ったり気を使ったりしても、その目的地には到底たどり着けない。そもそも、目的地の設定自体が間違ってしまっていることも少なくない。
よい結果を上げるためには少しだって気を抜くことができなくて、だから仕事のない休みの日はこうして、何もせず寝転んでばかりいる。そしてそうすることしかできない自分に対して、罪悪感を募らせる。
ただ、こうした日々を送るのは意外にも難しいことではない。
朝起きて着替えて化粧をして家を出て歩き、駅の改札を通るだけ。
そこから先は、ベルトコンベアーに載せられたのと同じ。会社にたどり着き、パソコンを開き、メールを打ち、時々は周りの人と談笑し、仕事が終われば帰る。
それら一連の動作は全て自動的に行われている、私自身にプログラミングされた処理に従っているというよりは、抗いようのない大きな河のような流れに押し流されるようにして。
いやだいやだと頭を抱えているのはせいぜいトイレの個室にいるときだけで、あとの時間はけろっとした顔をして、「仕事が楽しいです」などとのたまっている。
私が怖いのは、気づかないうちに自分が何か、取り返しのつかないところまで変質してしまいそうであるということ。
今の私は、ただ硬い殻をまとって武装しているだけ。
殻が守ってくれるからと安心していたら、いつの間にか周囲の気温が上がっていて、卵の中身はすっかり固くなっているかもしれない。
そして固くなってしまった卵は、二度と生卵に戻れない。
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何もする気が起きない。
仕事が忙しくなってから、めっきりスーパーマーケットにいく回数が減った。
夕食を何にするか考えながらスーパーをうろつくことはできないのに、どうやら本屋に行って本を物色することはできてしまうらしい。謎だ。漫画を何冊か買ってまっすぐ家に帰った。
やらなければいけないことはたくさんある、分かってはいるが身体が動かない。
だから先ほど買った、はるな檸檬さんの「ダルちゃん」を1,2巻通して読んだ。まるで今日の自分のために書かれたのではないか、と思えるくらい心に突き刺さる内容だった。
主人公のダルちゃんは、24歳派遣社員。いつも普通の人のふりをして生きているが、本当は「ダルダル星人」で、気を抜くと身体がでろーんと溶け出してしまう。
周りからバカにされてきたつらい経験を持つダルちゃんは、ある時「私はこの世界の人間にはそぐわないのだ」と気づき、それからは普通の人たちに擬態することだけに力を注いできた。
その甲斐あって周りとはうまくやれているけれど、ときどき自分が本当は何を考えているのか分からなくなってしまう。
そんなダルちゃんが人と出会ったり別れたりしながら、自分の生きる道を見つけていく。非常にざっくり紹介すると、そんな話だ。
私は、あまり仲良くない人から「しっかりしている」と言ってもらえることが多い。それは私の擬態の成果だろう。なぜなら、私の身体も家にいるときは大体どこかが溶けているためだ。
仲が良くて一緒に長い時間を過ごしている人ほど、きちんと私がだらしない、だめなやつであるということを分かってくれる。
私の本質は、きっと「ダルダル星人」だ。中身がこぼれ出ないよう硬い殻で覆って、いつしか自分自身も凝固してしまうのだろうか。その時、そこにいるのは本当に私なのだろうか。
仕事以外の時間、「ダルダル星人」である私にできるのは、まず心ゆくまでだらだらすること。それから、記すこと。どんなに小さなことでも。くだらないことでも。
頭によぎって一瞬で消えてしまう映像であっても、言葉に落として逃がさないようにする。殻を介在させずに見た世界を、自分の中に取り込む。
はっきりしたことは分からないけれど、そうすることで、柔らかいままでいられるような気がするのだ。