暮らす豆

ゆるい日記など

正直読んでいい気持ちがする人は一人もいないと思うのだけど、それでもどこかに痕跡を残しておかないと今ここにいる私のしんどさは死んでしまう。
死んでしまうだけならいいけど、経験上私のしんどさは何度死んでもゾンビのように蘇ってくる。某ゲームのように頭を数発銃で撃ったくらいでは倒せない。なおかつ、死んだふりをして私の生活に巧妙に入りこんでくる。とてもやっかいなのだ。

 

強烈な違和感に苦しめられている。
ご飯を食べる自分にも、お風呂に入る自分にも、部屋を片付ける自分にも、仕事をこなす自分にも、本を読む自分にも、立ち上がって外を歩く自分にも、笑顔で話す自分にも、強烈な違和感がある。
結果として横になって携帯をいじる以外の活動ができない。昨日まで普通にできていたはずのことが全くできない。
自分でも分かっている。どうせ、必要に迫られれば全部できるのだ。だから、今のこの状態はただ私の甘えた考えが引き起こしただけのものである、と。でもそう思えばそう思うほど、ますます動けなくなってしまうのはなぜか。
やりたいこととやらなくてはいけないことが頭の中で泡のように浮かんできては、現実感を失い弾けて消える。やりたいことは消えてしまったらそれでおしまいだが、やらなくてはいけないことは粘性を持った泥になって部屋の床に沈殿し、悪臭を放つ。安全で安心だったはずの布団は、月曜が近づくにつれてだんだん泥に侵食されていってしまう。それに対して何か策を講じることもできず、ただ枕は湿っていく。
どうせ明日になれば、私は起き上がって会社に行くのだろう。こんなことを書いて人に心配をかけたくないのだが、私は苦しかった日のことをすぐ忘れてしまうのだ。そしてまた同じことを繰り返してしまうのだ。だから、こうして文章にしておくほかない。自分の心の面倒さえ自分で見られない私の弱さを許してほしい。