暮らす豆

ゆるい日記など

沙希ちゃんは本当に神様だったのか? -映画「劇場」を見て

映画「劇場」を映画館で見てきた。
一言で言ってしまえば、すごくいい映画だった。終盤に近付けば近付くほど起こる出来事全てが自分のことのように感じられて、怒り悲しみが怒涛の勢いで押し寄せた。幸せな気持ちになれる映画としては点数が高くないかもしれないけど、自分の中に眠っている負の感情をリアルに体験できるという点では素晴らしい映画だったように思う。

というのが感想の大枠だ。上映時間中、幸せな気持ちだったのはたった5分くらいのような気がする…というのにも訳があって、それを今日は毎日書くブログの代わりに記事にしようと思う。
ものすごくものすごくネタバレなので、これから見ようとしている人は読まない方がいいかと思います…既に映画を見た人と、これからの人生絶対にこの映画を見ることがない人だけ読んでほしい。だが一つだけ言いたい、すごくすごくいい映画なので、今すぐ映画館に行った方がいい!もしくはAmazonプライムに加入した方がいい!

※ネタバレ注意
※途中かなり自分語りが挟まるので注意

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画を見ると必要以上に感情移入してしまう私だけど、実は前半登場人物の誰にも全く感情移入できず、見続けていることが苦痛とすら感じていた。特に、沙希のことが怖くて怖くてしょうがなかった。


沙希は作中で何度か「純真無垢」と表現された。確かに永田と付き合い始めた当初の沙希はいつも明るく笑顔、楽しそうに振る舞っていた。
でも、20過ぎて純真無垢な女なんて存在しない、20過ぎて純真無垢な女なんて男が夢見る幻想でしかない、と私は思うのだ。


取って付けたようなぶりっこを延々見せられ続けて、途中正直「早く終わってくれないかな…」と思ってしまった。
こういう人、確かにいる、誰にも優しくできて誰からも好かれる人。でも、どうしても沙希のセリフや仕草が天然のものであるとは思えなくてつらかった。
「ただいま」と帰ってきた永田を「おかえり~」と猫なで声で迎える沙希。私は沙希のような人間が、一人でいるとき何を考えているのか怖い。永田が帰ってくるほんの数秒前まで、一体どんな顔してミシンをかけていたんだろうか。

まだ出会って間もない永田と歩きながら小学生のようにくるくる回ったり、明らかに不機嫌な永田がバイクを乗り回しているとき何度も「ばぁ~」とおどけて見せたり、とにかく沙希を見ていると心のどこかが強烈な違和感を訴えかけてきた。
仮にも初めの時点で大学生、これが彼女の素の状態だとしたらあまりに人間性が空っぽすぎる。


というわけで「絶対この女には裏がある」という思い込みが取れなくなってしまい、途中から沙希が本性を現すのを今か今かと待ち構えるまでになってしまった。性格悪い女だな、と笑ってください。
今にして思えば、強烈に物語の世界に引き込まれてしまっていて、物語が全て永田視点で進んでいるという事実が頭から抜け落ちてしまっていたな…

 

 

物語が進むうち、完璧に見えた沙希の明るさに翳りが見え始める。
「私お人形じゃないよ」というセリフに、初めて彼女の自我が見えた。それまで不気味なほど徹底して永くん信者を務めていた沙希の、ささやかな反抗。そして次第に乱れていく生活。しまいには浮気まがいのこと(それまでの永田の最低な態度からしたら、浮気とも呼べない程度のことだが)までやってのける。
待ちに待った沙希の汚い部分が見られる!はずだったのに、なぜか私の心は浮き立つことがなかった。


そこまで見ればもう、2人の関係性を続けるために沙希が痛々しい努力を重ねていたことなんて分かっていた。
確かに沙希には裏があった、だけど彼女は身も心も表も裏もすべて永くんに全振りしていたのだ。そこまでの決意を持てる人の人間性が、空っぽであろうはずもなかった。


そして私は、ここでようやく自分が沙希にイライラしていた本当の理由に気づく。ぶりっこして相手のことを必要以上に褒めちぎり慕い続け、その言葉の空虚さで相手をイラつかせていることが分からない。沙希はそっくりそのままかつての私自身だった。

 

 

ここは完全にかつての私の話、なので全て推測の域を出ないが、たぶん初め沙希は永田のことを憎からず思いつつもそんなに好きにはなれなかったんだと思う。
好きになれないと思いながら、それでも「好きでいなきゃ」と念じ続ける。そして、付き合っているうちに永田の悪い部分、どうしようもない部分が見えてくる。
それでも「好きでいなきゃ」と思い続けていると、あら不思議、なんだかダメな永田がすごく可愛く愛しい存在に思えてきてしまうのだ。


そして永田は演劇にすべてを賭けているから、演劇に関する部分では絶対に傷を負わせてはいけない。
とにかく傷つけないようにしなきゃ!と思っていると、口から出てくるのは永田の演劇を肯定する言葉のみになっていく。
そしてこれもあら不思議、自分の口から出た褒め言葉がまた耳から入って脳内に達し、「本当に彼は世界一すごいんじゃないか」と思い始めてしまう。


この部分は全く共感できない人もいると思う。自分をはっきり持って生きている人には、理解しがたい話なのかもしれない。
でも沙希、そしてかつての私には自分というものがなかった。だから相手をとにかく傷つけないよう注意して言葉を選び、自分が発したその言葉に影響されてどんどん相手を好きになって沼にはまってしまう。
沙希が深みにはまっていく中、年月を重ねても永田はほとんど変わることがない。だから沙希が言っていた通り、沙希の辿った運命に対して永田は責任を持たない。持つ資格もない、と言ってしまいたいくらい。

 

 

あえてはっきり言うなら、永田はクズだ。クズ中のクズだ。バイト仲間にその「純真無垢さ」を以て永田の話をした沙希が、周りから心配されるのも当然のことである。
でも、この物語が示しているのが「永田はクズ」「沙希ちゃんは神様」という単純な構造であるはずがない。
沙希はどんなに傷ついても、ぼろぼろになっても、自分を殺しながら「世界一安全な場所」を守り続けた。
そして彼女がそうしたのは、たぶん純粋に永田を愛していたからというだけではない。関係が続くにつれてお互い憎しみに似た感情を覚えるまでになっても沼から抜け出すことができなかった、これは沙希の弱さであり愛すべき点だと思う。


誤解されてしまったら怖いけど、それでも強い言葉を使いたい。
自分を持たない人間にとって、クズは自分の生きる意味を証明してくれる最高の道具だ。ただ沙希は最後まで割り切ることができなかった。神のように無機質な愛を注ぎ続けることも、永田に対して自己肯定感の拠り所以上のものを期待しないこともできず、結果として身を滅ぼしてしまった。

 

 

正直、ラストシーンの余韻は悪くないものだった。満員御礼の劇場、観客に向かって演じているのか沙希に向かって話しているのか判然としない永田。そしてそんな永田を見て涙を流す沙希。
全てが丸く収まったように見えるけれど、起こったことをなかったことにすることはできない。そして起こったことを受け入れて正しい方向へ歩みだすことは、もっともっとできない。それができるのはたぶん残酷なまでに平等公正の、いわば神様のような存在だけだ。
やっぱり沙希は神様にはなれないし、この物語は悲劇だったと思う。

 

 

おまけ。

映画の雰囲気とは180度違うけど、観終わったあとこの曲が頭の中で再生されてすごくしっくりきてしまった。という話。

https://music.apple.com/jp/album/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC/1488298727?i=1488298736