イソギンチャクの中で
7/11
土曜日。半分夢みたいだった。
散歩していたら、飲食店の看板に「take away menu」という表記を見つけた。テイクアウトじゃないの?
調べてみたら、take outはアメリカ英語でtake awayはイギリス英語のよう。
take awayだとどうしても「連れ去る」というニュアンスを感じてしまう。連れ去られるご飯。
ときどき、個性的とかそういう枠を超えて不思議なくらい強烈な性格を持った人に出会うことがある。
その強烈さは、良くも悪くも全て生存本能だと私は思っている。
例えば、私の先輩。年に似合わないほど落ち着いていて頭が良く、いついかなる時でも立場をわきまえた行動を取る。とにかく異常なほどに気が利くのだ。
概して人に不快感を抱かせるようなことをしないが、時々裏の裏の裏をかいた非常に高度な嫌味を言ってくることがある。あまりに巧妙な嫌味なので、私はそれが嫌味なのか自分の被害妄想なのかいつも悩んでしまう。鈍感な人は、嫌味である可能性自体に気付けないのではないだろうか。
その落ち着きと異常なまでの気遣い力は、生得的なものとは思えない。個性と呼べるレベルを遥かに超えてしまっている。
それらはたぶん、先輩がそれまでの人生を生き抜くために身につけざるを得なかったものなんだと思う。極限環境に生きる動物たちが、しばしば風変わりな特徴を持っているのと同じように。
あの人変わっているな、ちょっとおかしいな、と思った時はいつも頭にこの考えがよぎる。生存本能だったからといってその強烈さが緩和されるわけではないけど、なんとなく腑に落ちてその後の付き合いが楽になるような気がしている。まあ、私は例に挙げた先輩のことがすごく苦手なんですが。
今日の一曲:
転がるレモン/The Wisely Brothers