暮らす豆

ゆるい日記など

戻らない

6/27

土曜日。6割くらいは活動できた。

 


梅雨が来ると誰も彼も湿気を恨んでいるように思えるが、ほどよい風があれば湿気だって悪くない。乾燥しているときより空気が身体に近いものとして感じられる。

とはいえ今日は暑かった。セミが鳴いていないのが不思議なくらいだ、と思っていたら通りかかった公園では既にアブラゼミが弱々しく鳴いていた。夏です。

 


夕方は雀の声がよく聞こえる。今日、車道をすーっと平行移動する雀を見た。驚いて振り返ると、それはちょうど雀と同じくらいの大きさをした茶色い枯れ葉だった。雀のお化けでなくてよかった。

 


どうして私はこんなにも自分の気持ちを表すのが下手なんだろう?と考えていた。文章もそんなに上手くないけれど、口に出して伝えるのはもっとずっと苦手だ。自分の気持ちにぴったりな言葉を、いつもとっさに選ぶことができない。

 


人の心にはひだがある、と私は前から思っている。小腸にある絨毛のような感じだ。人によってひだの数は違って、ほとんどつるつるの人もいれば複雑な構造をしている人もいる。ひだが多ければ多いほど、必然的に処理する感情の量は多くなる。

ただ小腸と心には大きな違いがある。小腸は栄養を吸収して身体に届けるが、心は感情を吸収して文字に変換するのだ。文字に変換されて初めて、人は自分の感情を誰か伝える術を持つ。と私は考えている。

 


どうして私が自分の気持ちを言語化するのが下手なのか、という話に戻るが、理由は2つある。

1つ目。もともと私は比較的ひだが多めな方だと思う。処理すべき感情の量が多すぎて、文字変換が追いつかないことがまあまあある。

そして、もう1つ。私の心が感情を日本語に変換してくれない場合があるということ。

日本語じゃないなら英語?ドイツ語?と突っ込まれそうだが、それは何語でもないのだ。あえて言うなら自分語。品詞などといった概念すらない、非常にぼんやりとした言語でしか私は自分の感情を知覚できない。これがすごく大きな原因だと思う。

 


なんとなく文章を書くようになったけど、それはたぶん自分語を読み解くトレーニングなのだ。相変わらず人に話すのはうまくならないが、時間をかけて感情を咀嚼することはできる。何のためにそうするのかは分からないけど、今はこれがシンプルに楽しい!ので続けていきたい。

 


友達と高校卒業ぶりに会って(オンラインだが)、お酒を飲んだ。

何気ない私の褒め言葉をその子がちゃんと覚えてくれていて、結構驚いた。軽い気持ちで話したことがきちんと受け止められていると分かると、やはり嬉しい。

同時に嫌な思いをさせてしまえばずっとそれを引きずらせてしまうんだ、と思うと苦い気持ちにもなるけど。

 


今日の一曲:

絵日記/羊文学

https://music.apple.com/jp/album/%E5%A4%A9%E5%9B%BD/1406803664?i=1406803666