暮らす豆

ゆるい日記など

痒み

5/23

土曜日。暑いんだか寒いんだか分からない。

午前中から起きて、Amazonプライムで映画を見た。

普段休みの日は昼過ぎまでベッドにいることが多いので、10時には起きて映画を見るなどという活動らしいことができて嬉しかった。まあ映画はベッドに寝転がりながら見たわけですが。

青春っぽい映画を見てしまったので胸が苦しくなった。大丈夫だよ進路なんてどうにでもなるよ、私のように何もできない人間でも一応職を得、まともな大人のふりして社会にしがみつくことができているのだから。と言いたくなり、そしてそんな自分が情けなくて涙が出そうになった。

 


午後は散歩に出た。

天気が良かったので、道端の花の写真を「ハナノナ」というアプリで撮りながら歩いた。

花に全然詳しくないので精度がいかほどのものなのか分からないが、いつも見過ごしてしまう足元に新しい世界が広がるようで楽しかった。せめてよく見る花の名前くらいは分かる自分でいたい。

https://apps.apple.com/jp/app/%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%8E%E3%83%8A-app/id1490984087

 


公園のベンチでひとり本を読んでいたら、身体に障害のある犬を連れた人が散歩に来た。

あんまり気に留めず本のページをめくっていたら、飼い主が後から来た女性に話しかけられて会話が始まった。

犬との出会い、障害を負ったいきさつ、について話していたのでたぶん初対面だろう。女性がしきりに「可哀想にね、こんな人に飼ってもらえてこのワンちゃん幸せだわ」と何度も言っていたのが印象的だった。

対象が人間ではなく犬だから、そう言えるのかもしれない。でも私はその言葉を聞いてどうしようもなく苦しくなってしまった。

 


自分が可哀想か幸せかは他人が決めていいものではない。絶対に。

一人称で見る世界とそれ以外から見る世界には決定的な隔たりがある。その事実に対して自覚がない人を見ると、どうしてもつらくなってしまう。「幸せ」と「幸せでない」に分けられ箱詰めされていく他人の人生。に、思いを馳せてしまう。犬だからこれは犬生?

 


こんなささいなことで気分が地の底まで落ちてしまい、帰宅せざるを得なくなる。

自分のこういう潔癖なところが自分を苦しめているのだ。まるで自分の汗で肌がかぶれるみたいに。

自分の中にも人をカテゴリ分けするフィルターみたいなものは確かに存在する。というかそれは何年も生きていれば自然に身について、完全に剥がすことは不可能なものだ。それに対していちいちアレルギー反応を起こしていてはどうしようもない。

住宅街をすり抜けて家に向かった。帰りも少しだけ花の写真を撮った。

 


今日の一曲:

退屈しのぎ/きのこ帝国

https://music.apple.com/jp/album/%E9%80%80%E5%B1%88%E3%81%97%E3%81%AE%E3%81%8E/521644932?i=521644948