暮らす豆

ゆるい日記など

生ぬるい

4/19

昼過ぎまでだらだらと過ごしていた。時計が15時半を指すころ、そうだ遠足に行こう、と思い立つ。

文庫本とノートとその他もろもろをかばんに入れて出かける。靴は以前モンベルで買った頑丈なものだ。私は歩くと足の裏にすぐまめができてしまうので、ちょっとした遠足でも本気の靴で挑む。

道中コンビニでおやつと飲み物を買った。茎わかめとチョコレートとトマトジュース。どこからどう考えてもおかしな取り合わせだが、全部ほしい味だったので仕方がない。

20分くらい歩いて大きな公園に来た。広場では、大人も子どもも一緒になって大勢が遊んでいた。

日曜の午後に公園を歩くのは、なんだか後ろめたい。不景気な顔をして歩く女は明らかにその場に不釣り合いで、でも遊んでいる人々はたぶん私のことなんてみじんも気にかけていないんだろう。自分だけが自分のことを考えてあたふたしているのだ、と思うと、どこまでも深い息を吐きたい気分になる。

どこからか、甘い管楽器の音色が聞こえる。耳を頼りに音のする方へ歩いていくと、森の入り口でサックスを練習している人がいた。サックスの音色はちょっと掠れていて、人の声にだいぶ近い。喧騒に負けない頼もしい音に惹かれ、そこからほど近いベンチに腰を下ろす。だが買ってきたお菓子を開けているうち、音色の主はどこかへ立ち去ってしまった。

チョコレートはいついかなる時に食べてもきちんと美味しいからすごい。その点、茎わかめはまだまだだな。チョコレートを摘みながら文庫本のページをめくる。陽が出ていないのにやたらと風が生ぬるくて、この気候を「過ごしやすい」で片付けてしまえない人と仲良くしたい、これからの人生。

 


4/22

長引く自粛生活により、前髪がそろそろ耐えられないくらいに長くなってきた。私は自分で前髪を切ることができないので、ちょっとしたピンチだ。私には女として生きていく上で必要なもの(それを是としているわけではない)がどこか決定的に欠けているという気がする。そもそもショートヘアにしている理由も自分で髪をうまく結べないからだし、サラダをうまく取り分けられないとか、シワになった服でも気づかず着てしまうとか、「女として欠けている」エピソードなら枚挙にいとまがない。

数ヶ月前、女性の上司から「女らしい気遣いが下手」と冗談半分に言われたことを思い出す。冗談半分、ということはもちろん半分は本気ということで、気が滅入る。別に好きで気遣いできないわけじゃないし!などと思い、その時はかなり腹が立った。

今まで生きてきて、お洒落で友だちが多くて女性としての人生を謳歌しています!!系の人々から何度も蔑まれることがあった。たぶん、日本人女性として生きるには圧倒的にどんくさいのだ。職場でもそれを指摘されるともう無理、お腹いっぱいです、としか思えない。

外に出ようが出まいが、前髪は今日も伸び続ける。なんだか小学生の頃憧れたサッカー少年みたいで悪くないな、なんて鏡を見るたび思ってしまうので、やっぱり私は「女として欠けている」のだろうか。